埼玉県のとある町民の活動記録ブログ

~The townpeople activities records in Saitama pref.~

introduction-4 顔プロの場合

顔プロデュース委員会の参加者は、年齢層も様々であったが、その人々のバックグラウンドも多種多様な人たちが多かった様に思う。
今にして思えば、町内の在野の活動家たちや各分野のリーダー人材が集まっていたと思う。
また行政の担当職員の方々もまちづくりに対してのこだわりと熱意のある人たちだった。

この場所で出会った方々が以後数年間、私が携わる事になる町での活動の強力な応援者になって下さる人たちでもあった。

 

話は逸れるが、多種多様な参加者がいたとは言え、今の私の経験をもとに1つ考察すると、地域の実業界や子育て家族や現役会社員の参加の割合が少なかったとも思わなくもない。
忙しい事業家や働き盛り世代の市民活動へ参加してもらう事は、今でも、もしかしたらどこの地域でも、課題なのだろう。
また忙しい人たちは、このような地域での行政主催の市民参加の活動に、恐らく自ら一定の心理的距離感を抱いている場合もあるのではないか。


話を戻して、会議について思った事は、これだけの人が集まったのに関わらず(または集まったからか)、話し合いのテーマに対して会議はいつも結論がバシッとでない。そして、バシッとでないまま終わる。
これはファシリテーターの平井さんの町民意見をくみ取る巧妙で高等な技術か何かなのかなぁ(しかしスッキリしない)、と当時の私は思っていたが、これは世間的にはワークショップにおけるファシリテーションの技法という事が、今になってようやく理解できるようになってきた。

平井さんは、早期に1つの大きな分かりやすい意見になろうとする流れを、例えばその意見に対抗しそうで、かつ説得力ある考えをあえて例示したりして、まとまる事を周到に、意識的に回避していた様に思う。
そして、今度は例示された逆の意見へ参加者がいっせいに流れれば、今度はまた違った切り口の対抗する意見を例示するなど、参加者はコネコネ、コネコネ終始こねられていた感じがする。
ふらふらとしかも長い航路に舵を取り、参加者が潜在的に持っているであろう素の意見がふと顔を覗かせるまでの遠回りしていたのだろうか。
推察すると恐らく、多様だけど大小声の大きさに差のある各々の参加者からの意見がなるべく個々から出てきやすい様に会議を進行し、より多くの声を聞き出しながら、それを生かしたまま、生きたままに設計に反映しようとしていたのだろう。
(当時の私の記憶をもとにした感覚からの感想の為、バイアスも多分にあるかもしれないが)

それともう1つ、この顔プロデュース委員会の委員の皆さんについての特色があるとすれば、会議中などの議場以外でも、人と人との関係性が参加者同士、それなりにフラットかつ自由な雰囲気であったことだと思う。


そして会議後には織ちゃん(役場近くのラーメン屋さん)に駆け込み、餃子と野菜炒めを肴にこれまでの会議の延長戦……などは全くせずに、また各々の町内での活動の話で盛り上がる。

そして夜が更けていく。(て言っても、22時ぐらいでお開きになりましたが。)
長くなってしまったが、これは私が体験した地域コミュニティの原点だと思っている。

f:id:f_satoshi:20061028144400j:plain

f:id:f_satoshi:20061028143716j:plain

f:id:f_satoshi:20061028143754j:plain

f:id:f_satoshi:20061028145050j:plain

竹アートの作品群、主催する方々に誘われた際に(2006年撮影)